禁断の移籍とは?
禁断の移籍(きんだんのいせき)とは、所属しているチームからライバル関係にあるチームへの移籍のことです。
なお、禁断の移籍というのはあくまでサポーターやファンのなかでこのように表現されるだけであり、禁止されているわけではなく、原則罰則などが発生するわけではありません。しかし、もともと所属していたチームのファンを中心に強い非難をされたり、裏切りものとされることもあります。
なお、特に主力級の選手としてサポーターに愛されている場合、直接の移籍でなくとも、他のチームを経由してライバルチームに移籍することも禁断の移籍とされることもあります。
禁断の移籍の事例
それでは、ここで禁断の移籍とされているものを一部をご紹介します。
ルイス・フィーゴ
「エル・クラシコ」「スペインダービー」とも言われ、世界のスポーツの中でも最大級のライバルとされているレアル・マドリードとバルセロナの直接移籍を果たしたことから、多くのサッカーファンにルイス・フィーゴ選手は禁断の移籍を果たしたとされています。
2000年当時世界最高額となる移籍金とはいえど宿敵への移籍に、
- 多くの罵声
- フィーゴが経営していたレストランが破壊
- コーナーキックを蹴ろうとしたフィーゴに対し、瓶やペットボトル、豚の頭までねげ込まれる
といった大事件に発展することとなりました。フィーゴはその年にバロンドールを獲得するなど、歴史に名を残し続けることとなりましたが、2015年にFIFA主催のフレンドリーマッチにバルセロナOBとしての出場をクラブ側から断られるなど、現在でも語り継がれる禁断の移籍と言えるでしょう。
ソル・キャンベル(トッテナム・アーセナル)
アーセナルとトッテナムは、歴史のあるダービーマッチである「ノース・ロンドン・ダービー」など、ライバル関係にあるチームです。
そのような中、トッテナムのバンディエラとも言えたソル・キャンベル選手が、上記ダービーのライバル関係にあるアーセナルへの移籍を行いました。
キャンベル選手は当時トッテナムのキャプテンを務めていたほか、移籍金を残さなかったこともあり、「Judas(ユダ)」と呼称されるなど多くのブーイングを受けることとなります。
ただでさえこの両チーム間の移籍は非常に少ないほか、このキャンベルの移籍以降、禁断の移籍扱いされる傾向が強まっています。
ロビン・ファン・ペルシー
2011ー12シーズンにおいて、30ゴールを挙げ得点王となったロビンファンペルシー選手は、その翌シーズンにプレミアリーグの覇権を争うマンチェスターユナイテッドに電撃移籍しました。
なお、ファン・ペルシーはその次の年も26得点で2年連続得点王を記録するとともに、プレミアリーグをはたすこととなっています。