マジック・マジャールとは?
マジックマジャールとは、1950年代前半に、当時ヨーロッパ最強と言われたサッカーハンガリー代表のニックネームです。
フェレンツ・プスカシュといった多くの有力選手を抱え、MMシステムと呼ばれる戦術を用いたチームは、1試合平均得点4.5点という圧倒的な攻撃力を誇り、1950年からの6年間で1敗のみというと凄まじい強さによって、「史上最強のナショナルチーム」とも言われました。
驚異的な勝率を記録していたものの、1956年のハンガリー動乱により、中心選手が次々と海外に亡命し、「政治や国家によって結果的に解体」することとなってしまいました。
1930年代の最強チーム「ヴンダーチーム」も同様に国家の問題により消滅しています。
マジックマジャールの記録
マジックマジャールは以下のような記録を残しています。
- 52年ヘルシンキオリンピック金メダル(18得点1失点)
- 4年間無敗(32戦28勝4敗)
- イングランド代表をホームで初めて敗戦させる(別名「世紀の対決」英国四協会とアイルランド以外)
- 54年W杯準優勝(決勝で西ドイツに敗れ、国際試合の連勝は33でストップ)
- 6年間で1敗(上記のW杯決勝)
唯一の1敗もコンディション不良
なお、マジックマジャールの唯一となったW杯決勝は、ハンガリー代表は下記のようにベストとは言い難い状態でした。
- エースのプスカシュが負傷して強行出場状態
- 準々決勝「ベルンの戦闘」で試合後の更衣室でも乱闘が続く、退場者と怪我人が続出する大荒れ試合
- 準決勝ウルグアイ戦は雨の中の延長戦で疲労困憊状態
- 一方ドイツは準々決勝も準決勝も90分で勝利(加えてグループリーグではメンバーを落とす)
- 決勝ではグラウンドコンディション不良でハンガリーの選手は転倒が連続、ドイツは交換式シューズにより安定してプレー
マジック・マジャールの戦術
当時のハンガリー代表は、シェべシュ・グスターヴ監督のもと世界最先端の戦術をとっていました。
当時のディフェンスにおいて「マンマーク」が主流であったなか、センターフォワードが現代の「偽9番」のように中盤に下がりつつ、2名のインナーが前線に上がるポジションチェンジを行い、ディフェンダーを引き出し守備を崩壊させる戦術をとっていました。
このポジションチェンジ後の形が「MM」の形になっていたため、「MMシステム」と呼ばれ、Magical Magyarsの由来ともなりました。
さらにGKはペナルティエリアの外にまで飛び出しカバーを行っています。
マジック・マジャールのプレーヤー
- プスカシュ(現FIFAプスカシュ賞の由来。代表通算85試合84得点)
- コチシュ(空中戦が強く「黄金の頭」の異名を持つ。代表通算68試合75得点)
- ヒデグチ(センターフォワードだが偽9番のように中盤に下がりゲームメイク)
- グロシチ(「黒豹」の愛称をもつ、ペナルティエリアを超えスイーパーの役割もこなすGK)